211010

一人称というのはなにを使うか・どう使うかである程度その人の人格、少なくともその場での人格の表し方が出るもので、そういうことも含めて俺は職場だと一人称を極力使わないというスタンスを取っています。やってみると意外とできるもので、一人称を省略しても結構文意は伝わりますし最悪「自分の場合だと」みたいにやや迂遠な言い方を使えばなんとかなります。もちろんこういう言い方をすることですらもこの人は自分を指すときに自分を使う人なんだなと思わせてしまうわけですが、それでも職場の同僚という距離感の人間に対して極力パーソナルな部分を見せずに済むのでそうしています。僕だとなんとなく素朴さを装っているようで嫌だし、俺だと私的でない場に私的なものを持ち込んで顧みない人っぽくなって嫌だし、かといって私だときっちりしてる・かっちりしてる印象を持たれそうで極力労働に対して力を抜きたい身としてはそういうの本当に勘弁してほしい。だからやっぱり一人称の開示をしたくないんですよね。これがインターネットだと少々事情は変わってきて、まあどんな一人称使ったっていいんですけど、個人的に警戒すべきだなというのがひらがなのぼくです。カタカナのボクはもうなんというかそういう演出だというのがあからさまなんでいいんですが、ひらがなのぼくはまた絶妙なラインで胡散臭いというか信頼しづらい。俺/オレ/おれの持つ粗野さ・粗さを回避しつつ、私/わたし/ワタシの持つフォーマルさ・プレーンさも回避しつつ、僕という漢字の持つ柔和でありつつフォーマルでもあるというニュアンスも捨ててやわらかさ・無害さ・親しみやすさを全面に出す、という意図がぼくからは透けて見えてくる……というのはもちろん偏見なんですが、ひらがなのぼくを使ってろくでもないことを書き散らかしてる人を見すぎたせいでだいたい上のような意図でつかって読む側のハードルを下げようとしてるんだろうなという推測になってしまうんですよね。いいインターネットをしてこなかった。なので俺の一人称は俺です。粗野で有害で人を傷つける人格の俺です。でもひらがなのわたしには胡散臭さを覚えないあたりやっぱ経験則なんでしょう。あと最近キャッチ22を読み終わっていたく感動したのでなんか書くかもしれないし書かないかもしれない。試し読みできるところで読んでみてほしいんですがサブタイが完全にいい感じのアニメのやつなんですよね。