090627

 前の記事からだいぶ間が空いたので改めて続きを書こうとして、そもそもなんでこんな文章を書こうとしたのかということをもう一度把握するのに結構時間がかかりました。ひとつには作品以外のこと、公開当時に見たいち個人の経験を残しておくことは後から見た・これから見る人に何かしら足しになるかもしれないというもの、もうひとつとしては自分の中でもう一回この作品に向けての気持ちを整理したい、というものです。ここでの整理は思い入れや好意的に捉えた部分をしっかりそういうものとして分離させることも含みます。自分と作品との関係とはほかに代えがたいたったひとつきりのものですが、それと同じくらい、無数に転がってるありふれた取るに足らないものでもあります。思い入れを剥がすことで見えてくるものもあるでしょうし、美化を素直に美化と認めて取り去ることでわかる形もあるはずです。そうできたらいいしそうできる人間でありたいね。というわけで第二作です。

 

 シリーズを通して、公開前から公開後まで一番プロモーションがうまく行っていた印象があります。公開前の確か二月くらいに六月公開という情報を出して、三月から六月にかけて毎月無料冊子を配布してそこで段階的に情報を公開していくというのは追いかける側からするととても楽しいものでした。土曜日の学校帰りに第二号をもらった後お昼ごはんに入った日高屋で同じ部活の部員とぺらぺらページをめくりながら話していたことを覚えています。振り返ると単に迷惑な子供ですね。お恥ずかしい。それから何より印象に残っているのが本予告で、あれを初めて見た瞬間にもしかしてこれ本当にやばいやつでは?という圧倒的な興奮がありました。他の映画を見に行って上映前に流されたせいで、見終わった後はその映画の感想と本予告の感想とが割合的に半々くらいになったりして、今だと確実にYoutubeでループすると思うんですが当時どうだったかはちょっと曖昧です。Youtube自体はある程度浸透していたと思うけど、本予告を制作側が発表後にアップロードしていたかというと微妙な気もする。公式サイトで動画は見れた気がするので、恒常的ではないかたちで見る手段はあったかもしれません。

 公開後は新宿の歌舞伎町で第3歌舞伎町宣言という催しが開かれて行った覚えはあるんですが、映像媒体として公開されたEXTRA05以外の記憶がありません。ただ第3歌舞伎町宣言で検索すると当時のブログとか映像とかがまだ残っていて、今はなき東急ミラノ座の前での様子が垣間見れます。ミラノ座が閉館前に特別上映をやった時のラインナップにEoEがあって見に行ったんですがそれは二〇一四年のことですね。八月くらいから入場者特典でポストカードが配布されて、これは手元に全種類あります。そして公開からおよそ一年経ってようやくBD・DVDが販売されるんですが、そのプロモリールがおそらく本編含めた新劇場版関連の映像の中でも一二を争うくらいにものすごくいいもので、これは今でもたまに見返します。その勢いに乗せられたかどうかは定かではないんですが、発売前に箱根の仙石原中学校で上映イベントがあって当選したので行きました。バスに揺られたことと体育館での上映におそらくボランティアの中学生が参加しててええ……ってちょっと引いたこと、体育館内に掲示されたポスターが修正カットを羅列した2.22仕様になっていたことを覚えているんですが、参加者特典の第3新東京市の住民票は紛失していて、記念のピンズだけが残っています。だいぶ色あせてしまっているんですが。あとなんかめちゃめちゃ当日暑くて待ち時間とかでかなりげんなりした気がする。というふうに、公開した後もソフトが発売されるまで程よく作品への興味や半数を手助けしてくれる感じが一番好きでした。もっとも次回作は露出できない内容ですし、最終作は正常なプロモーションができない状況だったので比べるのも違うとは思うんですけど。

 

 内容について。できれば初日初回がよかったんですが、当時俺は高校生で土曜日も授業があったのでそうはいきませんでした。なので終わるなりすぐさま映画館に行ってチケットが残ってる回をとって、他のクラスの知り合いに会ってまあ来るよなみたいになったりしつつ、いよいよ上映回が近づいてきたということで入場した時に前の回の音が漏れ聞こえたんです。それがあろうことか翼をくださいで、幸いなことに中学で合唱シーンとかがあるのかな?そういう場面を描くのっていままでなかったな…くらいに思いつつ音聞かないように離れとこ、とその場を離れました。当然自分の回の上映までにはそんなことすっかり頭から消え去っていたので、浮ついた頭でよかった数少ない例ですね。いや忘れてて本当によかった。

 そんなこんながありつつ本編を見たんですが、すごかったです。少なくとも、中学受験の時期に旧シリーズを見た後にまあでも前に終わった作品だしなみたいなインターネットの年上をコピペしたクソみたいな意識を持ちつつそこそこ好きだった作品がしっかり新しいものになっているというのは、これはものすごい嬉しいことでしたし、それが面白さや新しさやすごさによって達成されていたことに圧倒されました。終わった後興奮して先輩に電話して見た????って話しかけた気がします。やっぱり翼をくださいが流れてから、音と画面の一致(と内容の不一致)、選曲含めて圧倒されている時にぶつ切りしてエンドロールが流れ出して聞いたことのないイントロで始まった曲が実は知ってる曲で、という畳み掛けがとにかくうまい。リメイクだったりアレンジだったりする作品に求めることって「知っているものの知らない姿」「知らない姿でもう一度圧倒すること」なんですが、二作目に関してはそれが期待以上に達成されてました。あと全体的に新劇場版のお約束ってここから始まってて(冒頭に戦闘とかマリの歌唱とか封印柱とか2号機が壮大な音楽であっさりやられるとか。終盤に既存曲→新曲で盛り上げリレーするのは序からですね)、その作品の特徴として挙げられがちな要素って実は作品に出てくるのは中盤以降みたいな話どっかで聞いたなとかもぼんやり思いうかんだりしました。

 ただこれは二作目特有のものなんですけど、なんですごいかっていったら旧シリーズが前提にあるからなんですよね。マリの登場自体は二作目だとそこまで効いていなくて、加持の「誰も君に強要はしない。自分で考え、自分で決めろ」という全体で見てもいやそれもう乗れって言ってるしここだけ抜き出すと普通に一行で矛盾するよねという説教の代わりに逃げたきゃ逃げれば?になったところとかは適切だなーとも思ったんですが、全体で見るとやっぱり第八使徒の球形→サハクィエル状に変形するところとか、3号機に乗る人間が違うとか、第十使徒戦周りとかのほうが印象に残る。兵装ビルの展開とか水族館とかご飯周りも好きなんですけど、特に初回って新規の場面よりはアレンジの方が強く印象に残ったんですよね。とりわけアスカのくだりは旧シリーズを知っていればいるほど初見の時に追い詰められるもので、アスカに決まったとの台詞でおいおい嘘だろと思うじゃないですか。いやでもリメイクだし、もしかしたら3号機が乗っ取られる展開自体を変えてくるのかもしれないなこれ、いやだってアスカ乗ったままあれやるの?マジで?漫画版だと死んでたよね?あーなんかこういうところでミサトとアスカの会話あるのいいな、加持に惚れてるって要素抜くだけでここの三人こんなにおだやかになるんだ、あー、あー……っていう。その後の第十使徒戦も含めてこうした流れは確実に強く心に刻まれるんですけど、言ってしまえば初回に特化してるわけで、複数回見たり時間が経つと味がしないとまでは行かずともまあこうなるよな、くらいのところには落ち着いてしまうんですよね。もちろんそれは俺が当時通いまくってたぶん十回以上見たしそれ以降もちょくちょく見てたというのもあるんですが、この“もとの話から別の話へずれていく”というギミックを抜きにしてみると結構ぎりぎりのバランスで成立してる、なんとかなっているけどなんとかしているのがわかる作品でもあるというのが完結作公開前に十年ぶりに映画館で見た時の感想でした。新劇場版のほうがスタンダードみたいな扱い方をされるくらい時間が経つと、式波アスカがここでこうなるというのは前提でしかないのでまあそういうものだよね以上の心の動きは起きません。それと加持リョウジが今見るときつい。最後の翼をくださいのところはそれでもまだ圧倒されたんですが、作品全体としては“旧シリーズを知っている人が、特報や予告以上のことは知らずに見る”場合の魅力に特化した作品という結論になります。そして公開当時はそういった層がほとんどのはずなのでそりゃまあ絶賛されるよね、ただ耐用年数は短いよね、みたいな。公開当時はこれ旧シリーズ見てない人は面白さの最大値味わえなくない?とのぼせ上っていた気もするんですが、今だと旧シリーズ見てない方が下駄をはいてない状態で作品を見れたわけでもあるしそっちのほうが適切だったんじゃないか、それがこの作品本来の評価されるべき状態だったんじゃないかとも思います。あと終わり方と予告の期待させ方が上手すぎるからそれもある。

 自分含めてめちゃくちゃ盛り上がったのは確かなんですが、ただ同時にそれはどうなのよ?と思ったこともあって、当時覚えている人は覚えていると思うんですがゲンドウの車が3号機暴走の知らせを受けて急カーブするシーンでゲンドウが重箱を持っている、という話が流れていたんですね。実際にはそんなことなく複数回見た人からそんなことなかったよと指摘されたのか次第に消えていったんですが、“実は不器用ながらも子に近づこうとしている父”というイメージにすがるあまり存在しないものを見てしまうくらいには人間の記憶や認識って頼りにならないということを思い知ったきっかけにもなりました。場面自体が一瞬だったということもあるにはあるのでしょうが、それにしたって画面に存在しないものを設置してしまうレベルの誤認って普通に怖いし、自分がそれをやらないという保証もないし、いまでもこれは普通に肝に銘じたいことです。情緒に引っ張られて作品で描かれていないことを捏造する前に作品で描かれていることをきちんと正確に捉えるように努めないと、頭の中ではいくらでも歪めることができてしまう。それがよしとされがちな情緒的なもの(この場合だと親子の絆の実在)であればあるほど懐疑的な検討の余地が挟まりにくい、というところがなおさら危ないところです。

 

 第二作として単体でも面白いのはもちろんなんですが、これ以降の二作をちゃんと見る上でとても大事なところも山ほどあります。この後さんざんネタにされた行きなさい云々にしたって考えるべきは「誰かのためじゃない」というところじゃないですか。この誰かというのはもちろんミサトも含んでいて、そもそもこの前にミサトとシンジが会話したのって誰とも笑えませんの会話のところ、ミサトが自分の傲慢な心情を吐露してでもシンジを引き留めようとしてシンジがそれを拒んだところです。誰よりも自分の願望を押し付けていたからこそ、それでも来てくれたシンジに自分の願いのために行きなさいと言うのはそれこそ自分の罪悪感に由来する後押しでもあり、その結果何が起きたか、そしてミサトはセカンドインパクトで人生が損なわれた人間であり……というのをきちんと拾えているかどうかとか、言った後にきちんとリツコが静止する反応をとっていたりとか。シンジについてもかなり大きな捉え直しがあって、このあたりはパンフレットに詳しいですが要するに良くも悪くも彼は一度これと決めたら絶対にそうしようとするしそれを妨害するものにすごく強く当たる人間だ、という認識が中枢に近い人間に第二作を作る過程でようやく浸透していたりもする(あくまで第拾九話と今作との比較です)。そしてその結果サードをおこしかけて終わるわけで、きちんと見ていれば明るく前向きに徐々に変わっていった世界で熱血展開!という話ではない。そもそもサブタイトルがYOU CAN (NOT) ADVANCEなわけで、どこからどこへのADVANCEがCAN (NOT)なのかを考えると第九使徒戦から第十使徒戦でしょうし、前作の第五使徒戦からのでもありえて、やっぱり素直に成長できたぞ今度は熱血綾波救助!って話ではないんです。ないのですが、なんかこう、そう受け取られてたじゃないですか……。マリが都合のいいやつって言ってたのに……。そうじゃないじゃんというようなことを三作目の公開前には考えていたので、今度は前向き熱血!最高!みたいな褒め方を見るたびにいやそういう要素もあるけどその奥にそうなってないところがあるしだから面白いしだからここからどうなるのか気になるんじゃんと思っていたし、なので三作目も跳躍の幅はともかく方向性自体はそうなるよねと飲み込めたので、なんというか……いやこれは恨み節なんですけど。正直このあたりの齟齬についてはずっと考えすぎてもう書くのもめんどくさいところだし、終わった後にどうこう言ってもだから言ったじゃん的なクソ言及になってしまうのでカスもいいところなんですが。あとはまあなんか全記録全集読むと楽しいよねとかいろいろありますけど、ともかくすごいにはすごいし面白いものの一回しか履けない下駄を履いていて根っこのところで大事なところが気づかれにくかった作品で、その気づかれなさが回り回って最終作でああなったんじゃないだろうかという邪推を今だとついついしてしまいます。恨み節もいいところだけど。

 

 音楽について。この公開のちょっと前くらいから作品にふれる時にサントラを聞くようにはなっていたんですが、決定的になったのはやっぱりこの作品です。本予告に使われたThe Final Decision We All Must Takeが無限に聞きたくて、そうすると劇中サイズのサントラを聞くようになって、新劇場版は音楽の使い方がかなりがっちり場面ごとなので内容をだいたい音楽に合わせて覚えるようになって、という過程を踏みました。全体的に盛り上げ曲になるとオーケストラでドーンしてコーラスがアーばっかりになるのは正直諦めどころというか、全記録全集で監督にすら曲の終わり方大体同じじゃんみたいな言及もされているのでむしろ笑うところな気もします。前半はその気が強くてそこまで印象に残らないんですが、第十使徒戦の音楽はそれがいい感じに合致してて好きです。既存曲→新曲のお約束もSin From Genesis翼をくださいは文句なしにいいし。EXTRAの最終号でもDVD/BD発売のプロモリールでも用いられたのは結局翼をくださいだったので、やっぱりこの作品の肝はあの曲が流れているところだし、なんならプロモリールで延々繰り返しているところかもしれません。終盤にあるマリが手を開く→シンジが手を握る、のつなぎ方が一番好きなところです。