211101

 猫が入院することになった。今すぐどうこうというわけではないが数値は悪く、ある程度回復してから退院してそれ以降はなるようにという流れで、自分としては一緒に来年を迎えられるとは思っていない。帰ったとき、なんでもないとき、居間に行って名前を呼んで返事がなかったり足音が聞こえたりするのを待とうとして、入院中なのを思い出してやめる。亡くなった後の振る舞いを先取りしているような気持ちになる。退院したらたくさん撫でてやったりベランダに行かせてやろうと思う。といってもこのいたたまれなさにも慣れたといえば慣れたもので、家には多いときで四匹猫がいた。何年か前に立て続けに二匹亡くなり、残りの二匹も年をとっている。どうあっても猫のほうが先に死ぬ。生き物を飼うことはそういうことなのでそういうことになる。

 こういうことに対してあまり慰められたり励まされたりしたくない。悲しみを悲しみきるには一人でいることが必要なので。それでいうと上にあった立て続けに二匹亡くなった年、二匹とも葬儀を同じ業者さんに頼んだら何も言わないうちから骨壷のデザインを同じものにしてくれた。これはいい心遣いで、ただもう一つ未だに根に持っている心遣いがある。どんな文脈だったかは忘れたけど、確か「天国で見守っていますよ」みたいなことを言われたはず。お察しの通り俺はこういう慰めが心底嫌いで、もちろんその場でなにかしたりはしなかったけれど、この人こんな無神経でよくペット葬儀とかやっていけるなとは思った。死ぬことが天国やあの世に行くことなのであれば、そしてそこから見守ってくれているのであれば、それは寂しくはあれ悲しくはない。そんなことでは一切ありえず、見守ってくれる何かなんてものが一切消えるからこそ死は悲しい。それを見守ってくれていることにしてごまかすことは悲しみの中にいる本人がなんとか日々を回していくための補助輪であって、いつか外さないといけない。し、他人がなげかけていいものではない。慰めだと思ってこういうことを言える人は慰めだと思ってこういうことを言う人なので慰めだと思ってこういうことを言います。そういう人にはそういう人なりの人生がある。俺はそういう人生を送りたいとは思いません。あとまあいなくなってから初めて気づいた的なあれもね。誰かが亡くなって得られた気づきや感情は、その誰かが生きていることに比べてあらゆる意味で劣る。なくさないと気づけない鈍さは恥じこそすれありがたがるものではないのでありがたがるのはやめましょうね。人生そううまくはいきませんけども。あと白夜極光の今回のイベントめちゃくちゃ良かったですしパロマさんが突破4になって超楽しい。あとどう考えてもベリエと二人で話す回が必要。